oboe-gaki

物忘れが多い人の覚書

拝啓。ナンバーガール。

眠ろうとしていた。

今日は、8月の14日。日付が変わってしまったので、もう15日か。

ただ、眠気は比較的すぐそこまできていて、文字を打ちながら反芻する気力もない。ただ勢いだけで安物のキーボードをバチバチ、と叩いている。

 

何を書くか。

 

明日、私は、ナンバーガールを、観る。

 

中学生、西日の強い部屋、精子と汗のにおい、唸るようなギターの音、寂しかった記憶、誰かの温もり、渇いた笑い。

それぞれのキーワードは、15年の月日が経っても未だに消化されずに記憶の奥底で美化して大切にしているのかも。

いい加減しょっぱい想像力など捨ててしまいたいところだけど、それでもなお捨てきれずにいる。

 

音楽と記憶のリンクはいつでも脳内にこびりついてしまう。

だから私は音楽が好きで、好きで、好きで、どうしようもなく好きで、付加価値であろうとなかろうと、まるっとその人のことまで愛してしまうのかもしれない。もうなんだ、わけわかんねーな、しょっぱいババアになりたくなかったよ、ちくしょー。

 

ナンバーガール

およそ人生の半分、私はともに生きてきた。

 

私にナンバーガールを教えた彼はいまどうしているのか皆目検討もつかん。

ナンバーガールを聞くたびに思い出していた。

汚い、恥の、過去を。

女であることを思い知らせた出来事を。

特別な、記憶であることには間違いないのだ。

はた迷惑もいいとこだ。

 

30代になった今、全ての過去を拭い去るように愛してあげたい。

 

ナンバーガールのライブを観ることでそれらができるかなんで無理があるのはわかっているし、それがキッカケだなんて、なんて安直なんだとも思う。

ただ、ある種の呪縛だ。音楽は呪縛。のろいのようにまとわりつくことがある。

もちろん音楽はたすけてくれる。救いの手も、絶望の手も、音楽は差し伸べてくれる。

だから、私は音楽が好きだよ。好きで、好きで、どうしようもないくらい好きだよ。

 

早く、ナンバーガールが見たいよ。

お願い。台風。来ないで。お願いね。

 

 

 

※本当に眠いです。